発達凸凹ちゃん

こんにちは、
きんもくせいの香りも大好きな住楽です。

今まで身近な方以外にあまり話していませんが…

我が小5の娘、
元気に明るく(?)不登校中です。

ここ半年は、
ショートケアという民間の機関で、
学校が行きづらい小学生から高校生までの
少人数の集まりのところへ、週4日通っています。


娘と二人、どこまでも続く暗いトンネルを歩いているようでした。


小学校への行きしぶりは1年生の2学期から始まり、
「何言ってんねん!」 (`ε´)
と仕事をしている私はあせりながら娘の手を引っ張って
連れていくけど、私から離れない…。
担任の先生と話していると、
娘のことを「繊細ですね。」と言われ、
今までそう感じたことがなかったので、
「そうなんか…」と初めて気づき、情けない (ノ_・。)

保育園5年間、何の問題なく、楽しそうに行っていたし、
なんでやろうか…。(・_・;)

仕方なく、仕事調整しながら、付き添いをして登校し、徐々に離れていき、
3学期にはやっとひとりで小学校へ行って帰れるようになり、
山は超えたーーーと一安心。(;^_^A

しかし、2年生になってすぐ、
掃除の時にある男の子から1年生の時、
私が付き添っていたことをからかわれたらしく
(内容は3年生になった時にやっと娘から聞けました)
帰っていきなり玄関で大泣き。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

すぐに担任の先生に連絡しましたが、
そのからかった本人は翌日からたまたま風邪で休んでしまい、
結局、担任の先生の1日に色々あるうちの小さなこと位で流され、
娘も知恵熱を出して、とうとう未解決のまま不登校へ。(><;)

今から思い返しても、このころ一番親子で泣いていました。
教育相談の臨床心理士さんや、中学校のスクールカウンセラーさん
に相談とアドバイスもらうことが唯一の救いでした。
私も腹すえて仕事を休業です。

その後1学期間かけて、
学校にタッチ(教頭先生にあいさつ程度)を根気よく続け、
2年2学期から3年生の終わりまで別室登校をしました。
ほぼ娘の出席日数分、私も出席です。
別室で、見てくれる専任の先生はいません。

直接言われたことはないですけど、
「甘やかしすぎやねん」
「病気やろ」
と娘の同級生を通じ、私の耳に入ってきてとても悩みました。
そうなんやろうか…

4年生になって、ダンスの好きな若い担任の先生で、
娘の気持ちもグイっと上がり、
一気に教室へ、私の手から飛び立ちました。

運動会で踊る娘を見て、
涙を流しながら「良かったなぁ」
と声をかけてくれるお母さん方も多く、
心配してくれてたんや…ありがとう (ノ_-。)

しかし、その後息切れするように休みがちになり、
4年2学期から不登校。
私はすでに仕事を再開していました。

兼ねてから興味のあった
ライフオーガナイザー(LO)の資格もこの頃から勉強しました。

ちょうど、LOの勉強で発達障害のことを知り始めたと同時に、
娘は発達障害の部分的な要素があるんでは…と
教育相談の心理臨床士さんと話し始め、
診察をうけました。

病名も何もつかず、
ちょっと話のとらえ方に部分的にその傾向ありますね。
こころの成長が早くて、アンバランスですね。
程度

ちょっと拍子抜けしました。
なんかわかったような、わからんような。

そのあと、LOのSNSで紹介されていた、
杉山登志郎さん著
を一気に読んで確信しました。

うちの娘は、発達凸凹や!

どんな人にも多少なりとも発達障害の部分的な傾向はあって、
落ち着きが無い人、空気の読めない人等々…。
ただ、それが社会で生きていくのに、さし障りになるかどうかが問題。
治すことはできないけど、どう取り組むかが大切なんです。

やっと心が軽くなりました。
だから、不登校中なのに明るく元気にいられます。

まだまだ超えないといけないことも多いですが、
娘とふたり、そして理解者である家族と歩み続けたいです。

長い文になりましたが、
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。



女性建築士 住楽 ほそえ ゆりこ

リノベーション・リフォーム・古民家再生・新築 住みにくい家を 陽射しと生活動線を 大切にした設計で、 毎日快適な家へ 設計監理をします。

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